1 店に届く名前
小さな焙煎所で、自分の豆を焼いて売る店主。袋詰めも、注文への返事も、自分の手でしています。
架空の人物・店の物語です。
同じ名前
注文票の名前を、店主はもう一度見た。先月と同じ人だった。
前回の明細も開いてみる。二種類を一袋ずつ。今日は、そのうちのブレンドが二袋だった。
二つとも、こっちか。
棚から袋を取り、箱に収めた。ラベルを上に向けると、店の名前が並んだ。袋の間を少し詰めてみて、元へ戻す。箱を閉じれば見えなくなるところを、しばらく眺めていた。
小さなカードに「またのご注文、ありがとうございます」と書いた。「またの」が少し窮屈になった。新しいカードを出しかけて、やめた。読める。
カードを袋の上へ置いた。
発送する箱は三つあった。
並べて写真を撮ると、作業台の傷の方が目立った。箱を寄せ、画面に入り込んだテープをどけて、もう一枚撮った。
写真は誰にも送らずに保存した。
数日後、同じ名前から問い合わせが来た。
「このブレンドを、職場で配りたいと思っています。十袋お願いできますか。前に入っていたようなカードも、それぞれに付けてもらえたらうれしいです」
店主は椅子から立ち、袋の在庫を数えた。足りる。豆の用意もできる。
画面へ戻って、もう一度読んだ。
返信に、用意できることと発送予定日を書いた。最後に「カードも一袋ずつお付けします」と添え、送信した。
引き出しからカードを十枚取り出す。
並べる場所を空けようとして、台の端にあったテープを持ち上げた。先日の写真を撮ったときも、これをどけた気がした。
今日は写真の外へ押しやるだけでは足りなかった。店主はテープを棚へ戻し、十枚を並べた。
十袋を送る日
発送の日、袋詰めを終えたブレンドを十袋、隣の梱包台へ移した。
一列では載りきらず、五袋ずつ並べた。カードには「どうぞお楽しみください」と書き、店の名前を添えた。十枚とも同じにした。袋と一緒に渡せるよう、一枚ずつ添えていく。
このブレンドを最初に作ったとき、店主は今より少し苦いものにするつもりだった。何種類か試すうちに、先に空になるカップがあった。その配合でもう一度作り、売ることにした。
今朝も、自分の分を一杯淹れていた。袋詰めの前に飲み、残りは事務机へ置いたままだった。
箱を組み立てる前に、そちらへ戻った。冷めたコーヒーを飲む。朝より甘く感じた。もう一口飲んで、空になったカップを置いた。
十袋分の箱は、いつもの箱より幅があった。詰め終え、封をしてから送り状を貼った。
宛名は、もう見覚えがあった。
発送を終え、注文主へ連絡した。十袋それぞれにカードを添えたことも書いた。
返事は夕方に来た。
「ありがとうございます。最初に買ったとき、家で開けたらいい匂いがして、会社でも話してしまいました。届くのを楽しみにしています」
店主は、最初にこの人へ送ったもう一種類の豆を思い出した。そちらも気に入っていた。商品写真は、ブレンドより何枚も撮り直した。
今日、その豆の注文はなかった。
店主は売り場のページを開き、写真を見た。袋の色は、よく出ていると思った。
ミルクを入れて
二週間ほどして、知らない名前からメールが届いた。
「職場でこちらのコーヒーをいただきました。牛乳を入れて飲んでいます。同じものを注文したいのですが、このブレンドで合っていますか」
袋の写真が添付されていた。上の方がくしゃりと折られて、クリップで留めてある。自分が撮った商品写真より、袋の色が明るかった。銘柄は読めた。
店主は、同じブレンドの商品ページを開いた。説明には香りと後味のことを書いていた。ミルクのことは書いていなかった。
返信にリンクを貼り、「こちらで合っています」と書いた。職場でもらったとあったので、十袋を頼んだ人の顔を想像しようとした。名前しか知らなかった。
「お飲みいただけて、うれしいです」と添えて送った。
帰りに寄った店で、いつもは買わない小さな牛乳のパックを買った。
翌朝、ブレンドを淹れて少し飲み、それから牛乳を足した。自分で飲むなら、次はもうすこし少なくていい。それでも、空腹の朝にはこちらもよかった。
パンをかじりながら、メールに添付されていた袋の写真をもう一度見た。机らしい板の上に、クリップで留めた袋が一つ。隅には、何かの封筒も写っていた。
注文の通知が一件来ていた。開くと、昨日とは違う名前だった。
店主はパンの残りを口に入れ、注文の内容を読んだ。
あと二箱
注文の少ない日もあったが、梱包台に箱が並びきらない日は増えていた。
緩衝材が、あと二箱というところで足りなくなった。
店主は棚から束を持ってきて、台へ載せた。今日の分には多かったが、残りを戻すのは箱を閉じてからでよかった。
箱の蓋が束に当たる。肘で押しやると、今度はテープが隠れた。
束を台の奥へ立て、テープを取り出した。これで、もう棚へ行かずに済む。
最後の箱には、ブレンドともう一種類の豆が入った。こちらの豆を選ぶ人はまだ少なかった。注文票を見たとき、店主は焙煎の記録を開いて、前回どんな具合だったかを読み返していた。
袋の向きをそろえ、緩衝材を入れる。束をよけた分だけ箱が手前へ出ていた。店主は箱を奥へ押し戻し、身をかがめて蓋を合わせた。
封をして、送り状を貼る。
集荷に渡す箱を確認し終えると、店主は椅子を引いた。座面へ腰を下ろし、靴の中で足の指を動かした。
机には、昼に開いたままの納品書があった。仕入れた豆の名前を見て、まだ袋を開けていないことを思い出した。届くまでは、すぐに試すつもりだった。
スマートフォンに問い合わせが来ていた。
「二袋を別々の人へ渡したいので、カードを二枚お願いできますか」
明日発送する分だった。
「承知しました」と返し、注文票に書き添えた。カードを用意するだけなら、今のうちにできる。
店主は二枚書き、注文票にクリップで留めた。
ついでに、明日使う箱も出しておこうと立ち上がった。台には、さっきの緩衝材がまだ立っていた。
束を棚へ戻す。箱を出す。明日の分を全部組み立てると、また台が埋まった。
店主は箱を見渡し、明日はここから始めることにした。
集荷の車を見送って戻ると、開いた箱だけが並んでいた。
豆を袋へ詰める人が、もう一人いたら。あるいは、この箱へ入れるところからでも。
店主は事務机へ戻り、紙に「包装・発送」と書いた。
袋詰めだけで何時間かかっているのか、すぐには出てこなかった。途中で返事をしたり、資材を取りに行ったりする。箱詰めと合わせれば、今日は午後の大半だった。
「週に」と書いて、その先を空けた。
月曜は、これほど箱がなかった。
紙を納品書の隣へ置き、届いた豆の袋を見に行った。口は開けず、袋越しに豆を触った。
この豆を売るなら、写真も撮りたい。紹介文も書く。
袋の仕事
森は、印刷した募集の案内を持ってきた。
紙は四つに折ってあり、「包装・発送」のところに丸が付いていた。店主の机にも同じ案内があった。募集を出す前には、何日来てもらうかを何度も書き直した。
発送の多い日だけなら、人が欲しい。少ない日にも払えるかは、別だった。何週間かの注文と作業の記録を並べ、費用を計算して、週三日の募集にした。
「ここ、袋に詰めるところからですか」
森が丸を指した。
「はい。豆を量って、袋に入れて。封をして、ラベルを貼って、そのあと箱へ」
店主は作業台を示した。森は袋の置いてある方へ近づき、台の上を見た。
「機械から袋に出てくるのかと思ってました」
「そこは、まだ手です」
「じゃあ、けっこう時間かかりますね」
「かかります」
店主が答えると、森は案内の紙を広げ直した。
「コーヒー、詳しくないんですけど」
「飲みます?」
「飲みます。でも、いつも同じのを買うので。種類を聞かれると困ります」
店主は棚からブレンドを一袋取った。
「これは、うちでよく出るものです」
森は袋を受け取り、表と裏を見た。
「ページで見たのより小さい」
「写真、袋だけですからね」
「色は同じですね。この色、好きです」
森は袋を台へ戻した。
「食べるものに関わる仕事を探してて。売り場に立つのより、こっちがいいかなと思ったんです」
「箱に入れる方?」
「はい。買ったものがきれいに入ってると、うれしいので。自分でもやってみたいなと」
森は持っていた紙の折り目を指でなぞった。
「でも、毎日やるのは初めてです」
「最初は一緒にやります」
机へ戻り、曜日と時間の話をした。森が出した手帳には、いくつかの曜日に線が引いてあった。
「月曜、水曜、金曜なら。三時までで探してます」
「十時から来られますか」
「はい」
店主は、自分の予定と見比べた。集荷は森が帰った後になる。そこまで一緒にできれば、と募集を考えたときには思っていた。
「箱に入れるところまでをお願いして、集荷はこっちで」
森は手帳に時間を書いた。
仕事の内容や条件をひと通り話すと、森は持ってきた案内の紙を手帳へ挟んだ。
「今日見たところを、家でもう一回考えていいですか」
「もちろん。こちらからも、明後日までに連絡します」
帰り際、森が台の袋を指した。
「これ、買って帰れますか」
「豆のままで大丈夫ですか」
「あ、家に挽くもの、ないです」
「粉にもできますよ」
「ほかの豆もですか」
「はい。こっちに一覧があります」
店主が商品ページを見せると、森もスマートフォンで開いた。
「家でゆっくり見ます。さっきの色の袋は、どれも同じですか」
「同じです。ラベルが違います」
「じゃあ、味で選ばないと」
森は画面をしまい、店主へ頭を下げた。
翌々日、店主が採用したいと連絡すると、森も働きたいと答えた。最初に来る日を決めたあと、店の注文一覧に森の名前があった。