3 続けたい仕事
豆を焼く店主と、包装・発送を担う森。小さな焙煎所で働く二人の物語です。
架空の人物・店の物語です。 最初から読む →
今日の分
水曜、森は青いカップとパンを持ってきた。
今度は袋詰めを始める前に撮った。店主が袋の色を確かめ、森が二枚を選んだ。撮り終えると、森はコーヒーと一緒にパンを食べた。
その写真を商品ページに入れてから、三週間ほど経った。
「ちょっと、いいですか」
森が、ラベルを半分はがしたところで店主を呼んだ。
「袋を持ってる方の手が、痛いんです」
店主は台へ来た。森は袋を置いていた。
「どこ?」
森は左の手首を指した。
「袋を支えて、こっちから貼るときです。さっきから」
台には、まだラベルのない袋が並んでいた。店主は森の手元の一袋を、その列へ戻した。
「いったん、やめよう。こっちはやるから」
店主は机の方を見た。開いていたのは、新しく出す豆の説明文だった。写真を入れる場所が空いていた。
「森さんには、写真の方をお願いしようかな」
「今日、撮るんですか」
「いや、撮るところからじゃなくて。前の写真を選んだり、ページを見てもらったり」
「袋の方は?」
「こっちでやるよ」
森は、はがしかけのラベルを台紙へ戻した。
「ずっとですか」
「ずっと?」
「これから、写真の方になるんですか」
店主は椅子を一つ、台の横へ持ってきた。
「今日の残りをどうしようかと思って。そこまでは考えてなかった」
森は椅子へ座った。
「写真も好きですけど、袋の仕事ができなくなるのは、嫌です」
「分かった。これからのことは、まだ決めない」
店主は自分の椅子も引いてきた。
「今、持ってなくても痛い?」
「すこし。病院で聞いてみようと思います」
森は鞄からスマートフォンを出した。
「今日、行けるところがあるか調べてもいいですか」
「もちろん」
森が電話をかけに台を離れると、店主は注文を開いた。
今日送る分は、箱詰めまで終わったものと、森の台に残った袋でそろうものがあった。全部を自分で仕上げる時間を考え、時計を見た。集荷の前には、仕入れ先との電話の約束もあった。
新しい豆の説明文を保存して閉じた。
森が戻ってきた。
「これから行けば、診てもらえるそうです」
「じゃあ、今日はここまでにしよう」
森は台の袋を指した。
「ここから、まだ貼ってません。あっちの箱も、中身を見てもらう前です」
店主は注文票を取り、それぞれの前へ置いた。
「こうしておけば、分かるね」
「はい。あと、カードが二枚の分が」
「これ?」
店主がクリップで留めてあった二枚を見せると、森はうなずいた。
鞄を持った森が、台の紙くずを見た。
「片付け、そのままでいいよ」
「すみません。お願いします」
森を見送ってから、店主は仕入れ先へ電話をかけた。豆の話は翌日へ延ばしてもらった。
台へ戻り、ラベルを一枚はがした。袋を持ち上げてから、置いたまま貼れないかと、横に寝かせてみた。
豆が片側へ寄って、貼る面にしわができた。
店主は袋を起こした。森がどこを持っていたのか、見ていなかった。
袋の裏
森から電話が来たとき、店主は最後の箱に送り状を貼っていた。
仕入れ先との話を翌日に回した分で、発送は間に合った。机の上には、試すつもりだった豆が残っていた。
「診てもらいました。しばらく、痛くなる作業は避けるようにって。また診てもらうことになってます」
「そうか。次に来る日は、先に仕事の話をしよう」
「はい。袋をどう持ってるかも聞かれたんですけど、うまく説明できなくて」
店主は台に残った一袋を見た。
「写真、あった方がいいかな」
「あると、話しやすいと思います」
電話を切ってから、店主は翌週の予定を開いた。袋の仕事を自分へ移すと、豆の試作を入れていた午後が埋まった。森の欄は空いたままだった。
店でできることを探そうと、仕事中の手の痛みについて調べた。小さな職場の健康相談を受ける、地域産業保健センターという窓口が見つかった。働いている本人だけでなく、事業主も相談できるとあった。
店主は連絡先を保存した。
次の出勤日、森が来る前に、店主は自分の手元を撮ってみた。
森が来たときには、スマートフォンを立てかけるための箱が二つ、台に載っていた。店主は撮った写真を見せた。袋の表が大きく写っていた。
「これだと、裏が見えないです」
森は椅子へ座り、画面を大きくした。
「私は、もっと上を持ってます。ラベルを押すと、袋がへこむので」
店主は袋を取り、持つ位置を変えた。
「指が裏に回ってます」
店主が袋を裏返すと、森はうなずいた。
「この持ち方で、一日にどれくらいやるかも聞かれました」
「袋の数なら、注文を見れば出るよ」
「途中で箱に入れたりもするので。どのくらい持ってるかって聞かれると、分からなくて」
店主は袋を台へ戻した。
「朝からずっと、ではないね」
「はい。でも、箱を先に全部出しておくようになってから、袋の方は続けてやってます」
「その方が進むからね」
店主は注文一覧を開いた。森へ任せていた日の、自分のノートも出した。豆を試した記録と、書きかけの商品説明があった。森が何時から何時まで袋を仕上げていたのかは、どちらにもなかった。
「今日は、どうしましょう」
森が聞いた。
店主は、森に見てもらうつもりだった写真の一覧を開いた。
「これを一緒に選ぼうと思ってた。でも、その後までは決められてない」
「袋の代わりになるほど、写真ないですよね」
「うん。そんなに毎日は撮らない」
店主は、保存しておいた地域産業保健センターの案内を開いた。
「袋の仕事、続けたいって言ってたよね」
「はい」
「任せられると、こっちも助かる。ただ、どこを変えたら手に無理がないのか、分からなくて。店の仕事のことを、ここで聞けないかなと思った」
森は画面の連絡先を見た。
店主はスマートフォンを取り、窓口へかけた。
店の場所と、働いているのは森一人だということを伝えた。手首の痛みで受診したこと、今は袋の作業をやめていることを話した。
「袋詰めの仕事なんですけど」
店主は、台にある袋を見た。
「今のやり方を変えたいんですけど、何から手をつければいいか分からなくて。そういう相談も、できますか」
電話の向こうで、仕事についてもうすこし教えてくださいと言われた。
店主は森へ顔を向けた。
「一緒に話してもらっていい?」
森はうなずき、椅子を机の方へ寄せた。
空の袋
相談の日、店主は豆の入った袋と、空の袋を持っていった。
地域産業保健センターの窓口で紹介されたのは、働く人の健康と仕事について相談を受けている医師だった。森は受診先で治療を続けながら、店での働き方を相談することになった。
日程が決まるまでの間、袋の作業は店主がしていた。一件は、注文主に連絡して発送を翌日に延ばしてもらった。
森が受診先で言われたことを話したあと、店主は袋を机へ置いた。
「袋の仕事は今、私がしています。でも、この先も全部となると」
「普段は、森さんがどこからどこまで担当しているんですか」
「豆を量って、袋に入れて。封をして、ラベルを貼って」
店主が工程を挙げると、森が付け加えた。
「箱に入れて、発送できるところまでです」
「そのうち、手が痛くなるのはどの作業ですか」
「ラベルを貼るとき、袋を支えている方です」
店主は撮り直した写真を出した。森の説明に合わせて、自分が袋を持った写真だった。
「この持ち方に近いですか」
医師に聞かれ、森がうなずいた。
「はい。ラベルを貼って、端を押さえるまで持ってます」
医師は、写真の手元と、机に置いた袋を見た。
「袋を手で支えずに済む方法も、考えたいですね」
「台に置いて貼ろうとしたんですけど、豆が寄って、しわになるんです」
店主は、空の袋も隣へ置いた。
「先に貼るなら、平らなんですけど」
「先に?」
森が袋を見た。
「豆を入れる前に」
「入れたあと、どの辺に来ますかね」
店主は空の袋を立ててみた。中身がないので、上の方が折れた。
「それは、やってみないと」
「そのやり方で森さんが作業できるかは、また確かめましょう」
医師が言った。
森は持ってきた手帳へ、次に受診するときに聞くことを書いた。
店へ戻ると、店主は空の袋を一枚、台に寝かせた。
いつもの位置を見当で決め、ラベルを貼った。袋を裏から支える手は要らなかった。
豆を量って入れ、封をして、森の前に立てた。
「どう?」
「低いです」
「そう?」
森は棚にあるいつもの袋を指した。店主が持ってきて並べると、新しい方はラベルが下へ寄って見えた。
「立てると、ここが底に回るんですね」
森が指したところを、店主は横から見た。
「じゃあ、この分、上か」
二枚目には、すこし高い位置に貼った。同じ量の豆を入れて並べた。
「こっちです」
森が言った。
「箱に入れたところも、見たいです」
店主は箱を一つ組み立て、二枚目の袋を入れた。
「一枚目も」
「低い方も?」
「並べて見たいので」
箱の中では、二つの店名の高さが違っていた。
「やっぱり、二枚目ですね」
店主も、箱を開ける側へ回った。
「これなら、いいか」
机へ戻り、明日の注文を開いた。ブレンドのほかに、二種類あった。
「先にラベルを貼るなら、豆ごとに袋を分けておかないと」
「今も、豆は一種類ずつ詰めてますよね」
「うん。でも、袋はどれを取ってもよかったから」
店主は三種類のラベルを出した。空の袋を並べかけ、台に場所が足りないので重ねた。
「重ねたら、下のが見えません」
「ブレンドだけ、先に試そうか」
店主はブレンドのラベルと袋を残し、ほかの二種類は片付けた。
森は、二枚の見本が入った箱を見ていた。
「私が貼るときも、この高さにしたいです」
「位置が分かるものを作っておこうか」
「はい。でも、その袋は残してください」
店主は二枚目を箱から出し、底に見本と書いた。
一枚目は、店で飲む豆の棚へ置いた。
途中まで
見本の袋は、棚の上に残っていた。
森は再診で、新しい貼り方の写真を見せた。手の状態を診てもらい、作業を試すときのことも相談した。長く続けず、その後の痛みも含めて次に伝えることになった。
その話を店主とした朝、台へ出した空の袋は、いつもよりずっと少なかった。
「今日は、これだけ?」
「まず、これで。豆を入れるところからは、こっちでやる」
森は見本を横に置いた。店主が作った位置合わせの紙に袋を重ね、ラベルを貼る。
貼り終えた袋は、空のままだと薄かった。森は一枚ずつ重ね、台の端へ置いた。
店主は豆を量り、最初の一袋に入れた。封をすると、森の前へ立てた。
「同じになった?」
森は見本と並べた。
「なってます」
店主が袋を引き取ると、森の前には台紙と位置合わせの紙が残った。
森は時計を見て、手帳に作業した時間を書いた。
「手は、どう?」
「前みたいな持ち方はしなくて済みました。今は、痛みは出てないです」
「あとで変わったら、それも教えて」
店主は、次の袋へ豆を入れた。
森は注文票を見た。
「この人、二袋ですよね。箱、出しておきますか」
「箱の方は、今日はやるよ。さっき話した分で」
「あ、そうでした」
森は椅子へ戻った。
店主は袋をそろえ、箱へ入れた。森は立って見に来たが、箱には手を入れなかった。
「どう?」
「いいと思います」
店主が緩衝材を入れた。
「ここまで来ると、閉じたいですね」
森が言った。
「テープまで?」
「送り状までです」
店主はテープを取った。
「そうだったね」
森は、箱を閉じるところを見てから机へ戻った。
新しく出す豆の商品写真が、画面に並んでいた。森が一枚を開いたところで、店主が送り状を持って机へ来た。
「先にこれ、照らし合わせてもらっていい?」
森は画面を小さくし、注文の内容を開いた。
発送する箱がそろったとき、写真はまだ決まっていなかった。
店主は机の横にある、試す予定の豆を見た。
「これも、明日だな」
「写真も一緒に選ぶって言ってましたよ」
「そっちが先か」
店主は椅子を寄せた。
森が二枚の写真を並べると、店主は片方を指した。
「こっちかな」
「私もです」
「珍しい」
「袋が、ちゃんと見えるので」
机の端には、森の手帳が開いていた。ラベルを貼った時間の下に、午後の手の様子を書く場所を空けてあった。