4 届けたいコーヒー
小さな焙煎所で、コーヒーを届ける店主と森。袋や箱を仕上げる仕事を、二人で分け合っています。
架空の人物・店の物語です。 最初から読む →
渡す人の名前
翌朝、森から、午後も手の痛みは出なかったと連絡があった。朝の様子も書いてあった。
次の出勤日も、森は前と同じ分だけラベルを貼った。店主はその袋へ豆を入れ、箱を閉じた。ほかの銘柄のラベルは、店主が貼った。
その週の終わり、見覚えのある名前から問い合わせが来た。
以前、ブレンドを十袋頼んだ人だった。
「来週、今の職場を離れることになりました。最後に皆さんへ、こちらのコーヒーを渡したいと思っています。前と同じものを二十四袋、お願いできますか」
その下に、もう一段あった。
「一袋ずつ紙で包んで、渡す人の名前を付けることはできますか。自分で包もうかとも思ったのですが、お店でお願いできるならと思い、ご相談しました。包装代も教えてください」
店主は前の注文を開いた。十袋それぞれにカードを付けた日付が出てきた。
「森さん、この人」
森が机へ来た。
「前に、会社で配ってくれた人ですか」
「そう。そのあと、もらった人からも問い合わせが来た」
森は問い合わせを読んだ。
「辞めるんですね」
「うん」
店主は、まだ会ったことのない注文主が、袋を一つずつ渡すところを思い浮かべた。
受け取りたい日は木曜だった。金曜が送別会だという。
店主は袋の在庫を見た。豆も用意できる。
「紙で包むのは、やったことないですよね」
森が言った。
「売り物では、ないね」
店主は引き出しから、資材の見本として取り寄せた包装紙を出した。折らずにしまってあった紙は、台へ広げると端が丸まった。
袋を一つ載せ、紙を切った。左右を合わせて留め、上の余りを折る。
店主は名前を書く小さなカードを表へ当てた。開けるときに破れない位置を森と確かめ、上側を折り直そうとすると、紙がほどけた。片手で袋と紙を押さえ、もう一方の手でテープを取った。
森は、台の端にあるラベルを貼った空袋を見た。
「これは、豆を入れてからですね」
「そうだね」
店主は底を折り、袋を立てた。片側だけ、紙が余った。
「最初に切るところから、もう一回かな」
「この紙、いいですね。名前は手書きですか」
「まだ聞いてない。どんなふうにしたいか、見てもらおう」
森はカードを見た。
「これ、きれいにそろえて渡せたら、うれしいでしょうね」
店主は来週の発送予定を開いた。いつもの注文が、月曜と水曜に入っていた。木曜の到着に間に合わせるなら、森と作業できるのは、その二日だった。
二十四袋の豆を用意する時間。そのあと、一つずつ包んで名前を付ける時間。
店主は今作った一袋を見た。
「もう一つ作って、どのくらいかかるか見てみよう。今日は見本まで」
森はうなずいた。
店主は問い合わせへ戻った。ブレンドを用意できることを書き、包装は見本と費用、発送までの予定を確かめて、月曜に返事をすると添えた。
送信してから、包んだ袋を森の前へ置いた。
「名前、どう見えるかな」
店主は見本用のカードへ、森さん、と書いた。
「私の名前?」
「ほかに、誰を書くかと思って」
森はカードの付いた袋を、自分の方へ向けた。
「これだと、コーヒー入ってるって、分からないですね」
店主は表も裏も見た。店の名前も、銘柄も、紙の中だった。
「店のカードも要るか」
「それは、入れたいです」
包むところから
月曜の朝、店主は包装紙の横に、金曜に書いたメモを置いた。
二つ目を包むのに四分。三つ目は三分半だった。紙を切りそろえる時間と、名前のカードを用意する時間は、別にかかった。
森が来ると、店主は三つの見本を並べた。
「最後のが、いちばんきれいですね」
「慣れれば、もうすこし早くなると思う」
店主は二十四個分を計算した。今の速さでは、包むだけで一時間半ほどになる。
「火曜の午後は?」
森が予定表を見た。
「そこの焙煎を動かすと、水曜に送る豆が間に合わない」
月曜と水曜には、すでに受けた注文の袋詰めと発送があった。二十四袋を用意する時間は入れてある。紙で包むところは、まだどこにも入っていなかった。
「夕方からやるしかないかな」
店主は予定表の欄外を見た。仕入れ先への返事と、新しい豆の試作が書いてあった。試作の日付は、一度消して書き直していた。
店主は紙に包んだ一袋を手に取った。
「これで送れたら、いいんだけどな」
森は、カードに書かれた自分の名前を見た。
「作ってみたかったです」
店主は袋を台へ戻し、問い合わせを開いた。
「自分で包むことも考えてたんだね」
「はい。紙だけ、一緒に送れますか」
店主は使った紙の大きさを測った。資材店に在庫を確かめると、同じ紙は翌日受け取れると分かった。
「切ったものを入れておけば、包むところからできる」
「このまま送ると、折り方が分からないかも」
森は三つ目の見本を指した。
店主は包みを開き、折り目を見た。紙を捨てずに脇へ置いた。
同じ紙でもう一度包むところを撮ろうと、手元が見える位置にスマートフォンを置いた。今度は森が画面を見て、袋を置く場所を教えた。
店主が包む途中を、何枚か撮った。
底を折る写真は手で隠れていたので、そこだけ撮り直した。森が写真を送る順に並べた。
店主はもう一枚、紙を切る時間も計った。切りそろえるだけなら、明日の袋詰めの前にできそうだった。予定に書き入れ、材料の費用を計算した。名前のカードは、白紙で添える。店のカードも二十四枚用意する。
届け先を確認すると、水曜の発送で木曜着の指定ができた。
店主は返事を書いた。
今回の日程では、紙で包んで名前を付けた状態で届けることは難しいこと。コーヒー二十四袋と、切りそろえた包装紙、白紙のカードなら用意できること。包装を付けず、コーヒーだけでも注文できること。
費用と見本の写真を添え、包み方の写真も送れると書いた。
森に読んでもらってから、送信した。
返事は昼すぎに来た。
「では、紙とカードもお願いします。木曜の夜に自分で包みます。名前を書くついでに、一言ずつ添えようと思います」
店主は注文の内容を書き出し、森にも見せた。
「ブレンド、二十四袋。紙とカードも一緒に」
「名前は、向こうで」
店主はうなずいた。
店主は、撮影で包み直した三つ目を寄せた。最初の見本から、森さん、と書いたカードを外して移した。
「これは残そう。紙の大きさも、これで合わせる」
森はカードをまっすぐに直し、棚へ戻した。
発送の知らせ
水曜の昼すぎ、店主は最後の一袋の封を閉じた。
台の上には、いつもの注文の箱と、二十四袋を入れる大きな箱があった。昨日、予備も含めて切っておいた包装紙は、厚紙にはさんである。
森は机で、包み方の写真を開いていた。
「この二枚、順番はこれでいいですか」
店主が横から画面を見た。
「先に底を折って、そのあと上」
「分かりました」
森は写真の下に短い説明を付けた。店主は台へ戻り、コーヒーの袋を箱へ並べた。
森のラベル貼りは、午前中に決めた分だけ済ませていた。残りの袋は店主が貼った。
「紙を入れるところ、見せてもらっていいですか」
森が立って来た。
店主は袋の上へ厚紙を載せた。箱の内側にぴたりと収まった。
「紙は折らずに入りましたね」
「この箱があってよかった」
名前を書く白紙のカードと、店のカード。店主は数え終えた束を、それぞれ小さな袋に入れた。
森は白紙のカードを見ていた。
「一言ずつ、何を書くんでしょうね」
「二十四人分か」
「私、最後の方、同じこと書きそうです」
「最初の人にも何を書いたか、忘れそうだね」
店主は白紙のカードを数枚足した。
箱の中身と注文票を確かめ、森が読み上げる住所と送り状を照らし合わせた。木曜の配達指定も確認した。
店主が箱を閉じると、森は机へ戻った。
「包み方の写真、今送っておきますね」
「お願いします」
森はメールに、紙と白紙のカードには予備を入れたことを添えた。
送信して顔を上げると、店主がテープを引いていた。
森はその音を聞きながら、発送の知らせの文面を開いた。追跡番号を入れ、下書きに保存した。
「集荷が来たら、これを送ってもらえますか」
店主は画面を確かめた。
「うん」
机の横には、新しい豆の試作用に取り分けておいた小さな袋があった。店主はそれを持ち上げた。
「これ、もう一度飲みたかったんだ」
森が時計を見た。
「私も、まだ飲めます」
店主はカップを二つ出した。
湯を注ぐと、森が机から顔を向けた。
「いい匂い」
「香りはいいんだよね」
「もう、何か気になってます?」
「冷めてからが、ちょっとね」
森はカップを受け取り、まず一口飲んだ。
「私は、好きですけど」
店主は自分のカップを持った。
「もうすこし待ってみて」
森はカップを机に置いた。
「じゃあ、帰る前にもう一口」
三時になると、森はカップを空にして帰った。
集荷に来た配達員へ、店主はいつもの箱と、大きな箱を渡した。台に残った包装紙の切れ端を片付け、机へ戻った。
森が用意した文面を開き、発送の知らせを送った。
自分のカップには、まだ半分ほど残っていた。店主は一口飲んで、試作のメモを引き寄せた。
贈り物の写真
月曜、注文主から写真が届いた。
紙に包まれたコーヒーが、知らない家のテーブルに並んでいた。名前のカードは縦に付いたものも、横に付いたものもあった。
「無事に渡せました。持っていく前の写真を送ります。一人ずつ渡していたら話が長くなって、帰るのが遅くなりました」
店主は森を呼んだ。
森は写真を大きくした。
「ちゃんと包めてますね」
「うん」
手前の一袋だけ、カードが二枚付いていた。文字は小さくて読めなかった。
「一枚じゃ足りなかったのかな」
店主が言った。
「その人のところ、長かったでしょうね」
森はもう一度、写真の全体を見た。
「あの紙、買ってよかったですね」
店主はうなずき、写真を送ってもらった礼を書いた。
それから二週間ほどたった。
森は受診を続け、ラベルを貼った時間と、その後の手の様子を伝えていた。店主も、今の分担で進めた日の作業をまとめ、地域産業保健センターへ改めて相談した。
受診先では手の状態を確かめ、地域産業保健センターでは、森が希望していた箱の仕事の持ち方や続ける時間も相談した。そのうえで、袋を箱へ並べるところを短い時間から試すことになった。箱の組み立てやテープ留め、運ぶ仕事は、引き続き店主が担当した。
金曜の朝、森の前に、組み立てた箱が置かれた。
中へ入れるのは、ブレンドと、もう一種類の豆だった。
店主は封をした二袋を持ってきた。森は箱を台に置いたまま、袋を一つずつ入れた。
「ブレンドは、開けたときに左にします」
「うん」
森は店のカードを添えた。
箱を閉じる前に、店主を呼んだ。
「ここまで、できました」
店主は注文票と中身を確かめ、箱を引き取った。森は台の端に置いた手帳へ、作業した時間を書いた。
店主が隣でテープを留めた。
「手はどう?」
「持ったときも、今も、痛みは出ていません」
「午後も、また聞くね」
森はうなずいた。
店主は送り状を貼り、箱を発送用の台へ移した。
森はその箱を見ていた。
「今度は、閉じるところもやりたいです」
「うん。それも相談しよう」
店主は次の袋へ豆を量り入れた。森は手帳を閉じ、注文票を二人から見えるところへ置いた。
水曜に送る豆
その日の午後、店主は新しい豆の商品ページを開いた。
紹介文は書いてあった。写真も入っている。販売数の欄は、まだ空いていた。
森が机へ来た。
「これ、この前飲んだ豆ですか」
「そう。冷めるまで待ってもらったやつ」
「私、冷めたのも好きでしたよ」
森は紹介文へ目を戻した。
店主は来週の予定を開いた。火曜に焙煎し、水曜に発送するつもりだった。先に受けている注文の袋詰めと、箱を閉じる時間を書き入れた。新しい豆の分もそこへ収めようとすると、用意できる数は思っていたより少なかった。
店主は販売数を入れた。
「最初は、このくらいにしよう」
森が数字を見た。
「水曜の袋、ラベルは先に用意しておきますか」
「ブレンドの、今やってもらっている分はお願い。こっちの袋は、まだ見本も作ってないから」
店主は新しい豆のラベルを一枚出した。
森が椅子へ座ると、店主は手帳を指した。
「朝のあと、手はどう?」
「今も変わりないです」
森は手帳に書き足した。
「水曜も、箱は今日と同じところまでにしておこうか」
「はい」
火曜の午後には、別の試作の予定があった。
「こっちは、来週は無理か」
店主はその翌週の予定を開いた。空いているところへ試作を移し、元の欄から消した。
森は商品ページへ目を戻した。
「これは、出すんですよね」
「出す。これまで延ばすと、また飲み直したくなる」
「もう、だいぶ飲みましたよ」
店主は商品ページを読み直した。焙煎する日と、発送する日を入れ、価格と販売数を確かめた。
公開すると、いつものブレンドの隣に、新しい豆が並んだ。
森がスマートフォンで店のページを開いた。
「出ました」
店主は隣から見た。
「説明、長い?」
「今、読んでます」
森は下まで読み、画面を戻した。
「一袋、私も頼んでいいですか」
「うん。水曜になるけど」
「家で飲みたいので」
店主は、新しい豆のラベルを袋の横へ置いた。
この物語はフィクションです。登場する相談や作業の工夫は、この架空の店での出来事として描いています。個々の症状や作業の適否を一般化するものではありません。